遺言
最近ブログをよく触るようになりました。ギンです。
就職に付き毎朝早起きおじさんです。俺と朝のダイヤは2:8のガン不利。
ついに私の長くて短い学生生活が終わったので、遺言を書いておこうと思います。
というかただの俺の思い出。もはや誰も読まなくていい。
主にポケサーのことを書きますが、それ以外のことも絡めて書くので適当に読んでください。
実刑列ガバガバだしクソ長いので読み飛ばしてね。
・大学1年生
第一志望に失敗して首都大学東京に入学。
都会を夢見て地元から出てきた私を待っていたのは八王子の山々であった。
大学構内でポケモンサークル(当時の名前はTMUポケモンサークル)、東方都立大学のビラをを見つけ、入部。これ以外にギター部にも入部。
TMUポケモンサークルは私が入学する1年前に発足していたらしく、私が二世代目だった。東方都立大学も同様。すげえタイミングでオタサー出来まくってんな。
東方都立大学でドミニオン(東方祀爭録)を覚え、これにハマる。私が大学で最初に覚えた娯楽であった。
驚くような話だが、当時のTMUポケモンサークルは非常にポケモンが盛んであった。というかポケモンしかしていなかった。
出来たてのサークルで人も少なく、娯楽の幅も狭かったことが原因であろう。
当時は私もポケモンのモチベがそこそこあったため、普通に授業中にポケモンをしていたりした。
東方都立大学の合宿にもここで一度だけ参戦。箱根でドミニオンをしまくっていた記憶。楽しい時間でした。
11月の学祭でポケサーブースを出展。
私は部活の屋台があったためあまり長居はできなかったが、シングル大会で3位入賞するなどしていた。
それまで多大との交流も殆どなかったが、年度末のポ一オンライン大会にサークルとして、田螺、よしひろ(当時の名義はめとぽけの画伯)とともに参戦。
私がここでベスト8に。たぶんちょっと名前が売れる。
ここで知り合った人とは未だに一緒に遊んだりするので、他大との交流が乏しいめとぽけにとっては本当に明るい風でした。運営ほんまありがとう。
こうしてバイトもせずに楽しいことだけをしてギターを買ってスキーに行ったら金が本気でなくなって極貧生活に。
・大学2年生
ついに後輩が入ってくる。
このときの新歓で、部活の演奏会のためスーツを着て前髪を上げていたところを、なぜか遊びに来ていた某氏に観測され、ヤクザがキャラクターとして一気に定着。
このあたりからめとぽけはどんどん面白くなったなあ、と今にしてみれば思います。
エアタービンという男が、なんと高校時代からの相互フォロワーだったことが発覚する、東方都立大学とめとぽけどちらにも入る、二人目の人間が現れる
など、面白い人間が多い世代。
そしてサークル名が正式にめとぽけになりました。
私はここでPCLに初出場。大した結果は残せませんでした。
更にポnewオフで予選全敗するなど、ポケモンのモチベがどんどん下がっていった時期。
スマブラ3DSが発売されていたのでモチベがそちらに引きずられる。
他大ポケサー員との交流はこの歳に入ってから大幅に増えました。
私がなんとなく仲良くなたった人を集めたポケサー交流窓のようなもので東京観光オフなんかしましたね、懐かしいなあ。
また、このタイミングで役職持ちに(細かい時期は忘れた)。
前年度は代表と副代表だけだったが、ここで新たなポスト「渉外」が生まれ、私がそれに就任。
めとぽけ初代渉外として、交流会の運営をするようになりました。
特に中大ポケモンだいすきクラブさんとの交流会は結構な回数ありましたね。
PCL予選消化を交流会で行ったり、PCL予選B地区のポケサーで交流会を開いたりもしていました。
思えば、ヤクザとかいう、オタクの界隈にはあまり多くないキャラクターのおかげで、私の渉外業務は幾分か捗っていたようにも思えます。
その年の学祭でも同じくめとぽけブースには長居できなかったが、
シングル大会は前年と比較にならないレベルの大盛況に。
ポケサーで交流した成果を一番感じた瞬間だったかもしれません。
そしてこの後、かの有名な「よしひろの命日」が訪れたわけですね。
嫌な……事件だったね……
年度末にWiiUとスマブラ、スプラトゥーンを購入し、一気にポケモンから離れる。
・大学3年
この年が一番書くことが少ないかもしれない。
ひとつ下に世代交代し、ふたつ下の世代がそこそこに危険な人物が多く、
めとぽけで主に活動するのも彼らになっていきました。老害がいつまでも居座ってもね。
このあたりからめとぽけがじわじわポケモンをしなくなってくる。
その反面、カード勢が入部したことで、特に交流の幅が広がったとも思います。
いろんな趣味の人が集まるのはサークルのいいところですね。
この年は私が部活を引退する年でもあり、なぜか東方都立大学も活動が微妙に減っていた時期だったので、私は部活の方に心血を注いでいました。
活動日がかぶることも多く、また家がクソ遠くなったこともあり、あまりめとぽけには出られなかった年でした。
それでも交流会や学祭で人との関わりが広がってくれたのは本当にありがたいことでした。
私は一般的にオタクが履修しがちなものをどれ一つも触っていないのに、仲良くしてくれる人がサークル内外に年々増えたことは本当に感謝の限りです。
無事部活を引退してから少し活動に行く頻度は上がったものの、就活がそこに控える都合そればかり、というわけにも行かないジレンマがずっとありました。
某やべー後輩が、ことあるごとに活動に来てくださいとずっとツイッターで言ってくれてたこと、ここにしか書かないけど本当に嬉しかったしありがたかった。
結局さほど行けなくてごめんなさい。
・大学4年生
3年の末から当然のように就活をしていたため、この年の新入生と知り合ったのはかなり遅い時期でした。
そしてこの時、めとぽけはいつの間にか、めぼどげになっていました。
誰かがどこからか買ってきたボドゲをみんなでする。ポケモンの要素はどこにもない。
なんだこの空間は。でも楽しい。
どう考えても僕のヤクザ芸の起源を知らないはずの世代の後輩にすら、当然のようにヤクザ呼ばわりされます。教えた奴許さねえからな。
この年に入り、現実逃避から動画を投稿するようになり、いよいよポケモンのポの字もなくなりました。
それどころかスマブラのオフに顔を出すようにすら。楽しいことに正直な人間ですね。
いつか参加したたんげ飲みでオタク飲みの楽しさを知り、俺も主催するか、とギン飲みを主催しました。
これまで3回開きましたが、どの回もサークル内外を問わず、本当にたくさんの人が来てくれました。相変わらずオタクがやりがちなソシャゲの類を全く触らない私の主催に毎度来てもらって本当にありがとうございました。
12月にあったプチたま交流会が私の最後の交流会でした。
構築はつるあしに借りました。
その後の部内戦では、大学生活最後にして第7世代はじめての構築、
「そのための拳」構築で挑み、まさかの3位に。
USUM発売から3ヶ月ほど経っているのに使用ソフトがサン・ムーンでした。
どんだけポケモンやってないんだよこのサークル。
その後、死ゅう死ょくを待つ中で、
第三回ギン飲みが無事盛況に終わり、私の学生生活は終わりを告げました。
以下、雑感。
思えば、短い4年間でした。
どの時期も、自分が一番楽しいと思えることに没頭できる時間でした。
各サークルや部活、それぞれに居るが故の迷いや苦しみも確かにありましたが、
それを差し引いても、本当に幸せな時間を、これでもかとばかりに過ごせたと思います。
サークル内で知り合った人も、交流会やツイッターで知り合った人も、
私の幸せな時間に、一人でも欠けてはならない存在だと思います。
めとぽけにいなければ知り合うことが出来なかった人がたくさんいる、という事実だけで、
ポケサーに所属する価値を十分に証明できると思っています。
惜しむべき別れが多すぎますね。
正直労働意欲なんて欠片もないし、できることならずっとポケサーに居たいと思っていますが、どうやらそういう訳にもいかないようです。
後輩諸氏に一つだけ、月並みでも私から言えることがあるなら、
時間は有限で、それもどんどん体感時間は終わりに向けて早まっていく、だから、
自分が好きだとか、楽しいとか思えることに、できるだけ没頭したらいい、ということです。
何が書きたいか自分でもいよいよ怪しくなってきたのでこのあたりで〆ます。
第四回ギン飲み、いつになるかはともかく絶対に開催します。
みんな来てね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。